「あなたは創造的ですか?」と聞かれたら
「自分なんて……」と思う人もいるでしょう。
今日は、そう感じている方に向けた話です。
創造的とはどういうことか。
一つの解釈として、「ほかの人と同じものを見て、違うことを考える」があると思います。
普通はこう、という視点を軽々と壊して違う見方をする。
関係なさそうなもの同士を、勝手につないで考えてしまう。
ここでは、そういう状態を「創造的である」と呼びましょう。
たとえば、子どもは、おもちゃを「正しく」遊びません。
車のおもちゃと人形、ブロックとぬいぐるみ。本来は別々の世界にあるはずのものを、勝手にマッシュアップして遊び始める。
そこにあるのは、「これはこう使うものだよね」という前提ではなく、「こうなったら面白いかもしれない」という仮説です。
大人から見ると、「そうやって遊ぶのではなくて」と思う瞬間もあります。
でも、子どもには関係ありません。
意味は、あとから追いついてくるものだからです。
かっこいいロボットと、かわいいぬいぐるみが、プラレールの電車で通勤し、レゴブロックの家に帰っていく。
違うおもちゃ同士が、ひとつの物語の中でつながっていく。
ここで起きているのは、特別な才能ではありません。用途や正解を一度忘れて、意味をつなぎ直しているだけです。
なぜ創造的でいるのは難しいのか
理由は案外シンプルで、普段は、創造的である必要がないからです。
多くの場合、普通はこう、という視点は仕事をするうえで当然必要です。
また、あらゆる刺激に反応していれば目の前の業務が進みません。
なんでもつなげて考えていると、没頭もできない。
ところが、ごくたまに「創造的であれ」と求められる瞬間がやってくる。
そのとき、いつもは頼もしかった常識が、今度は思考のブレーキになります。
ルールは変わっても、行動は変わらない
「アスラン現象」という言葉があるそうです。
人はもっともな理由に基づいてルールをつくり、従う。時が経ち、ルール自体は変わっても、行動だけが固定されてしまう。
どうも私たちは、考え方は固定されるようにプログラムされているようです。
これは怠慢でも能力不足でもなく、社会で生きるうえでは、極めて自然なことです。
ただまずここに自覚的になることが第一歩目のように思います。
知識が足りないわけではない
多くの場合、創造性が出てこない理由は、知識不足ではありません。
むしろ「ちゃんとした知識」を持っている人ほど、手が止まる。
- それは筋が悪い
- 説明がつかない
- 前例がない
そうした“もっともな理由”が、考えはじめたばかりの芽を、早々に刈り取ってしまう。
しかも無意識に。
遊び心は、軽薄ではない
昔、元マッキンゼーの伊藤良二さんの社会人大学の講義を受けた際、「遊び心は軽薄ではない」と話されていたことが印象的で、よく覚えています。
この言葉を、僕はとても大事にしています。
創造性に必要なのは、知識を正しく使う力だけではなく、知識をつないで遊ぶ時間です。
役に立つか分からない。
説明できるかも分からない。
それでも一度、組み合わせてみる。
創造性は、才能ではない
創造的であることは、特別な才能ではなく、「常識を一時的に脇に置く」ことを、許すという技術であると教えてもらいました。
同じものを見て、違うことを考える。それは選ばれた誰かの特権ではなく、知識をつないで遊んでいたら、辿り着ける場所だと思っています。


