カスタマージャーニーを描く、という仕事が、ここ数年でずいぶん一般的になりました。
ユーザーの行動を時系列で並べ、そのときどきの気持ちや期待を書き出していく。
一度は誰もが見たことのある図だと思います。
ただ、その一方で、ジャーニーという言葉が広まるにつれて、少し気になる使われ方も増えてきたように感じています。
それは、
「こうなったらいいなあ」という理想像を描いて終わる、
という使われ方です。
理想像を描くこと自体は、悪くない
誤解のないように言えば、理想の体験を描くこと自体が悪いわけではありません。
むしろ、
- 何を目指しているのか
- どんな状態が望ましいのか
を言語化することは、とても大切です。
問題は、その理想像が、現実の体験や行動と、切り離されたまま置かれてしまうことです。
「ここでは安心している」
「ここではワクワクしている」
そうした言葉が並んでいても、
- どうすれば不安が安心に変わるのか
- 何が起きればワクワクに至るのか
が示されていなければ、それは願望の列挙に近い。
ジャーニーを描いたつもりでも、それは現実解に近づく検討をしていない状態とも言えます。
現在の体験と、更新後の体験をそれぞれに描くことから
私自身、ジャーニーを扱うときに意識しているのは、
現在の「ペインが連綿と続く日々」と、
更新後の「ペインが軽減され、ゲインポイントが連なっている日々」
を並べて描くということです。
いま、人はどんな行動をしているのか、という行動フローの分解をしたうえで、
「その一連の行動に、どんなペインが連なっているのか」をまずは描く。
そして、
「その一連の行動が、どんなゲインの連なりに変わるのか」を描く。
重要なのは、現在像と理想像を、同じ行動フローの上に重ねること。
現実だけを描くと、あまり夢のない躓きの石の拾い上げという仕事に入り込んでしまう。
理想だけを描くと、どうしても地に足の着いた感覚を持ちにくい。
両方を並べてはじめて、「では、どう近づけるのか?」という問いが生まれます。
ペインポイントの軽減の先にゲインポイントがある
ジャーニーの中で語られるペインとゲインも、つながりを持って描けることが望ましいです。
例えば
- 「疲れる」というペインが軽減されると
- 「疲れにくい」になり、、さらにそこから
- 「回復する」というゲインを想定する
という 変換の関係 として捉えるべきものです。
こうした、ペインポイントのゲインポイント化をどう実現するか、という検討を体験フロー全体通して行う。
ジャーニーデザインのフェーズの肝はそこにあります。
ペインポイントのゲインポイント化には、それを実現する「仕掛け」がある
ペインがゲインになるとき、そこには何らかの仕掛けが必要です。
企業は、その仕掛けをいかに提供するかを考えるのです。
強引な仕掛けは、結局のところ使われません。
行動や意識を大きく変えず、頑張らずに小さく試せるような仕掛けであれば採用されうる。
それを、実験しながら形にしていく。
ジャーニーを絵に描いた餅にしないために、こうした地道なアクションを重ねていきます。
一度で理想に到達できなくても構わない。体験全体を、いきなり変えられなくてもいい。
けれど、
- この行動だけは、迷わせない
- ここだけは、つまずかせない
そう決めて手を入れた部分から、体験の連なりは現実に変わっていきます。
ジャーニーは、その 支援する行動の範囲を定めるためのツール でもあります。
ジャーニーを描く、という仕事の責任
ジャーニーを描くことは、「きれいな図をつくる仕事」ではありません。
- 現実を直視し
- 理想を掲げ
- その間をどう埋めるかを考える
そのプロセス全体を引き受ける仕事です。
「こうなったらいいですね」と言って終わるだけでは、その仕事に対する責任を果たしたことにはならないと私は思います。
現実と並べ、どう近づけるかを考える。
たとえステップ論でもいい。たとえ一部からでもいい。
どう実現するかまで考えること。
それが、ジャーニーを描くという仕事ではないかと、私は思っています。


